日本史

それでも陵墓マニアは帰ってくる(2)

つづきです。 白河天皇陵からさらに東に移動すると。 住宅地の中に、安楽寿院という寺院を見つけることができます。 その寺院の南側に。 ↓近衛天皇安楽寿院南陵はあります。 ↓「近衛天皇安楽寿院南陵」の石碑。 多宝塔のフォルムが美しい陵墓です。 いわゆる…

それでも陵墓マニアは帰ってくる(1)

というわけで。 「今回の成果」です。 京都に到着直後。 ↓国道1号線沿いに、白河天皇成菩提院陵を見つけました。 ↓「白河天皇成菩提院陵」の石碑。 阪神高速を頂く幹線の道っぺりに忽然と現れる陵墓なので。 思わずスルーしてしまいそうになりました。 「成…

心が寂しいと、人肌が恋しくなるものなのか…

久しぶりに。 ガッツリと日本史ネタいってみましょうか。 以前から機会があれば取り上げようと思っていた、この人についてです。 延喜10年(910年)の今日3月24日。 「二条后」と称された、清和天皇の女御・藤原高子が亡くなっています。 彼女が何といって…

大ショック!

昼休みに飛び込んできたニュースに。 悄然としました。 「実朝暗殺を目撃?鶴岡八幡宮のイチョウ倒れる」(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100310-OYT1T00422.htm) 10日午前4時40分頃、神奈川県鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮で、同県指定天然記…

久しぶりにニュース読んでゾクゾクした。

「全国5番目の規模の河内大塚山古墳は未完? 初の立ち入り調査」(http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100219/acd1002190027000-n1.htm) 宮内庁が「大塚陵墓参考地」として管理し、全国で5番目の規模を誇る巨大前方後円墳、河内大塚山古墳(全長…

また鎌倉に行ってきました。

食道潰瘍にも負けず。 妻と娘を伴い、先週の土曜日に鎌倉に行ってきました。 今回訪ねたのは。 鎌倉宮という神社でした。 鎌倉の社寺のなかでは歴史は浅く、明治2年(1869年)、明治天皇が建武の中興に尽力しながらも非業の最期を遂げた護良親王を祀る神社…

和歌山旅行記の途中ですが…

先週の土曜日。 胃カメラを終えてから。 胸の痛みにも負けず、妻と娘とともにドライヴに出掛けました。 行き先は…いつもとは真逆の小田原。体調勘案して近場で済ませたものです。 道中。 ↓こんな老舗を発見。 「西行まんぢゅう」ですか。ぜひ1度食さねば。 …

受験生にちょっとだけ役立ててもらえるかもしれない話

弊ブログは。 一応「日本史系ブログ」として看板を掲げているわけでして。 たまにはキチンとしたエントリも上げておかないといけません。 かくの如き思いを胸に。 これから受験戦線に突入していくであろう受験生諸氏に捧げるエントリを物したいと思います。 …

紫陽花の季節からは真裏だったのですが…

妻と娘とともにドライヴしました。 あてもなく鎌倉をプラプラ車走らせて、気が向いたところで降り立って見学しよう…という、なんとも風任せな旅路でした。 鶴岡八幡宮は人多過ぎでスルー。 建長寺は近くに駐車場を見つけられずに断念。 …と来て。 次に目をつ…

素晴らしきかな陵墓マニア

というわけで。 以前のエントリで紹介させていただいた「実際に自分の足で訪ねたことがある陵墓」(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20090106#p1)を7か月半ぶりに更新できることになりました。 ここに「3訂版」をリリースさせていただきます。 私…

そこのけそこのけ陵墓マニアが通る(4)

長いこと引っ張り続けてきましたが。 いよいよシリーズ最終回です。 木曜日。 スクーリングも4日目となると、いささか疲労も増してきてはいたのですが。 講義終了後、出町柳でバスを乗り継いで、京都大学農学部のそばまで出向きました。 日曜日。 京都に到…

そこのけそこのけ陵墓マニアが通る(3)

若干間が空いてしまいましたが。 つづきです。 水曜日。 これまた昼休みに。 さらに一念発起して、歩いてみることにしました。 バス停にして「千本北大路→金閣寺道→わら天神前→衣笠校前」の3区間を黙々と行脚。炎天下の中だったので汗ぐっしょりになりまし…

そこのけそこのけ陵墓マニアが通る(2)

つづきです。 スクーリング初日の昼休み。 図書館でウダウダしていてもよかったのですが。 ふと「大学の周辺にも、まだ行ったことのない陵墓いっぱいあるはずだよな」と思い起こし。 一念発起して、天候と体力が許す限り歩き回ってみることにしました。 まず…

そこのけそこのけ陵墓マニアが通る(1)

さてさて。 長らくお待たせいたしました。 今回のスクーリング中に探訪した天皇陵について。 いつもの如く、写真を交えつつ紹介させていただきたいと思います。 初日。 京都に到着直後。 ↓黒谷の金戒光明寺近くに見つけた、陽成天皇神楽岡東陵です。 ↓「陽成…

承久の乱は本当に「謀叛」だったのか?(4)

…最終回となります。 これまで、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての「武士に奉じられるべき存在である天皇や上皇」について、長きに渡って話をさせていただきました。 最後に、1つ付け加えておきたいことがあります。 承久の乱から時代を下ること、103…

承久の乱は本当に「謀叛」だったのか?(3)

…つづきです。 自分がこれまで一貫して話をさせていただいている趣旨は。 「平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士や貴族は、天皇や上皇その人や、彼らの命令を奉じて、初めて事を起こすことができる存在であった」ということです。 そのことは、承久…

承久の乱は本当に「謀叛」だったのか?(2)

…前回のつづきです。 北条政子や義時など幕府首脳のスタンスとして「後鳥羽上皇その人に弓を向ける戦いではない」という姿勢を首尾一貫取っていた、ということには大いに目を向けるべきである…というのが前回までのあらましでした。 このことは、当時の人々…

承久の乱は本当に「謀叛」だったのか?(1)

…というわけで。 昨日予告させていただいたとおり、レポートの内容を少しだけ語らせてください。 不定期掲載になるかと思いますが。 『吾妻鏡』承久3年5月19日条に。 御家人たちを前にして北条政子が行ったという演説の様子が掲載されています。 「皆心を…

日本海つながりだったのか…。

日本史クイズの正解です。 ↓問題はこちら。 Q.大岡忠相は、享保2年(1717年)2月3日、江戸南町奉行就任をきっかけに「越前守」の官職名を名乗ることになりましたが、彼が「越前守」の前に名乗っていた官職名は何でしょう? …正解は「能登守」です。 『…

朝、通勤途上の電車の中で、

突然妻に。 「小野好古って、どんな人だったっけ?」と聞かれました。 何気ない世間話の合間に、突然出てきたのがこの名前。 こうでないと、日本史マニアの妻は務まらないようです(笑)。 で、小野好古です。 「藤原純友の乱の際に、討伐に向かった人物」と…

競馬界で「クロフネ来航」といえば2001年なわけなのですが…

10日付のエントリで。 自分、ダブルエラーこいてしまいました。 指摘してくださったChattertonさん、シシガタニさんにまずは御礼申し上げます。 どこの部分を間違えていたのかというと。 例の「(サスケハナ号以外の)残りの3隻の名前」です。 最初にアップ…

陵墓マニアバンザイ

さて。 以前のエントリで「実際に自分の足で訪ねたことがある陵墓」を紹介させていただいたことがありました(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20060706#p1)。 あれからちょうど2年半。 通信制大学院の学生にもなり、自身の研究のためのフィールド…

陵墓マニア、まかり通る(3)

完結編です。 黒谷の金戒光明寺を後にし。 周囲を走っていると。 ↓後一条天皇菩提樹院陵を見つけました。 娘である、後冷泉天皇皇后章子内親王との合葬陵…ということになっています。 ↓「後一条院天皇 □□□□(携帯カメラだと精度が低くて解読不能。「後冷泉院…

陵墓マニア、まかり通る(2)

つづきです。 「哲学の道」のさなかに。 ↓冷泉天皇桜本陵を見つけました。 ↓「冷泉天皇櫻本陵」の石碑。 あの「よーじやカフェ 銀閣寺店」のほど近くにあり。 カフェの周囲は人だかりでごった返していましたが。 天皇陵に目を向ける人は誰もいませんでした。…

陵墓マニア、まかり通る(1)

今回の肺炎騒ぎで、ずっとアップロードできませんでしたが…。 先月末の京都旅行について語りたいと思います。 東福寺で紅葉見たり。 初めて黒谷の金戒光明寺に行って、会津藩士墓地に感慨無量になったりしましたが。 今回の旅行。 道中で、思わずバッタリと…

これもお犬様?

久しぶりに「今日」ネタです。 天保11年(1840年)の今日11月18日、光格上皇が崩御しています*1。 光格天皇。 歴代天皇で、これまでのところ最後に「太上天皇」の称号を与えられた天皇であり。 崩後「○○院」という追号を贈られることが普通であった江戸時代…

石碑は語る。

さて。 予告どおり。 寺田屋関係のエントリを追加させていただきます。 寺田屋、時勢が動いた出来事を数多く見守ってきた現場だけのことはあって。 数多くの石碑が残されていました。 ここでは、その一部を紹介させていただきます。 ↓「寺田屋騒動記念碑」。…

まだまだ彼女のブーム続いてますね。

「篤姫:初めて墓を一般公開…東京・台東区の寛永寺」(http://mainichi.jp/photo/news/20081017k0000m040041000c.html) 東京都台東区の寛永寺で16日、篤姫の墓が初めて一般に公開された。NHK大河ドラマの人気もあり、20倍以上の応募者から選ばれた8…

びっくり。そして激怒。

各紙が一斉に報じたこのニュースに、日本史マニアは度肝を抜かれました。 「足利尊氏像の手首盗難 等持院 義満像の刀なども被害」(http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008100400094&genre=J1&area=K00) 足利尊氏ゆかりの等持院(京都市北区)で…

久しぶりに、ちょいと低めの日本史ネタです。

というわけでして。 下ネタ系の話が苦手な皆々様は、以下数十行後に書き始めるネタはスルー…ということでよろしくお願いします。 ↓口直し代わり。 昨日の表題「喜多川歌麿没す(文化3年・1806年)」に関連して上げようと思っていたネタを。 1日遅れでお届…