日本史

終わりました。

「光縁寺・山南敬助ほか新撰組隊士墓についての考察」と題した研究発表は。 激賞されることもなく、さりとて酷評されることもなく、まずまずそれなりの仕上がりで終えることができました。 新撰組モノって。 ブログとかでよもやまを語る分にはいいんですよ。…

フィールドワーク写真集(2)

昨日のつづきです。 ↓「武市瑞山先生寓居跡」の碑。 もともとは四国屋丹虎という旅宿だったところで、例の池田屋事件の際に土方歳三隊がここに踏み込んだものの不逞浪士を見つけられずに池田屋に急行したというエピソードはあまりにも有名です。 現在は、料…

フィールドワーク写真集(1)

さて。 随分と遅くなってしまいましたが。 スクーリング2日目の午後にフィールドワークで見学した維新関係の記念碑を紹介させていただきます。 ↓「木戸孝允旧跡」の碑。 京都市中京区末松町付近、丸太町通から土手町通を下って200mほど、さるホテルの一角…

名前、それはアイデンティティー

帰宅後。 何気なしに本日の表題を見つめつつ、いろいろ調べものをしているうちに。 「北条時宗の『宗』は、元服時に将軍であった宗尊親王の名前の1文字を拝領したものである」という事実に行き当たりました*1。 なるほど。考えてみればごくごく自然な取り合…

「6世紀最強の暴君」…だったの?

さて。 1,000日目も突破したことですし。 公約どおりに日本史系のネタをガンガンいってみたいと思います。 「古墳めぐり」完結編をまだお届けしていないのですが。 ここは、以前にもチラリと触れた「あの天皇」について。 「あの天皇」とは。 第25代武烈天皇…

こいつは大発見!

…ちょっと古いニュースですが。 「真弓鑵子塚古墳:全国最大級の石室確認 奈良・明日香村」(http://mainichi.jp/photo/news/20080208k0000m040053000c.html) 奈良県明日香村の真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳(直径約40メートル、円墳)について、同…

古墳、古墳、古墳(3)

…2か月のご無沙汰でした。 古墳探訪の続編、いってみたいと思います。 ちなみに、前回はこちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20071206#p1)。 渋谷向山古墳を後にし、さらに国道169号線を進むこと1km弱。 「…国道の右か左か」と迷った末に、行…

そういえば…。

…今年も12月14日が来てしまいました。 そして。 例の赤穂四十七士を紹介させていただいている「壮士の最期」シリーズも、ずーっと中断したままになっています*1。 進捗状況ですが。 やっとこさ毛利家の様子が途中、そして水野家の様子はまるまる残り…といっ…

次回予告!

「古墳探訪編」は1回お休みをいただきまして…。 次回は、以前からあたためていたネタいってみたいと思います。 題して「え、そんな残虐行為、ホントにあったの!?」。 日本史マニアの人も、そうでない人も、どうぞご期待あれ。 ★★ヒント、本日の表題。人気bl…

古墳、古墳、古墳(2)

さて。 随分と間が空いてしまいましたが、古墳探訪の続編です。 渋るハラを抱え、不安におののきつつ、国道169号線を行くこと約2km弱。 国道右側に、渋谷向山古墳が見えてきました。 全長289m、全国第7位、奈良県内では第2位の大きさを誇る、日本屈指の…

古墳、古墳、古墳(1)

長らくお待たせいたしました。 旅の続編です。 10月28日(日)。 府中に思いを馳せつつも、今回の旅のメインの目的である「古墳めぐり」を敢行することと相成りました。 賢島から近鉄特急で大和八木まで一気に向かい。 桜井まで戻り、JRに乗り換え。 …が。…

次回予告

…いつ以来ですかね? 「日本史」カテゴリアップするの?*1 本日の表題にからんで。 「即位と践祚」と題したエントリ上げようとしたのですが…。 明日早いので、休みます。 次回にご期待ください(←いつだ)。 ★★ちゃんと日本史ネタ書きなさいよ自分、「弊ブロ…

鮮やか。

「薬師寺に回廊が完成、渡り初め…白鳳伽藍の復興進む」(http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070924i513.htm?from=rss) 創建当時の姿をよみがえらせる白鳳伽藍(がらん)の復興を進めている奈良市の薬師寺で24日、大講堂の東西両端から延…

個人的には「第四の男」感が満載の彼ではありますが…。

表題にもあるとおり。 今日9月7日は、「天正遣欧使節団」の1人であった原マルチノが異国で没した日です。 ただし、この9月7日は、例によって「太陰暦によるもの」であり。 太陽暦に換算すると、彼の命日は「西暦1629年10月23日」になります。 「天正遣…

こんな卑近なところにネタが転がっていた。

日本史マニア、かつ古墳マニアの自分のハートをズキュンと射抜くニュースが転がり込んできました。 「塚越古墳 実は前方後“方”墳――墳丘が残る同様の古墳としては県内でも最大規模」(http://www.townnews.co.jp/020area_page/01_thu/02_hira/2007_3/08_09/hi…

本日の表題に関連して。

「平城上皇崩御」の一言について、補足させていただきたいと思います。 平城上皇は。 弘仁元年(810年)に起こった「薬子の変」の責めを負う形で。 剃髪し、出家しています。 そのため。 一旦は「平城法皇崩御」という表記にしようとしたのですが。 念のため…

おお、久々の日本史ネタだ。

表題にもあるように。 明治34年(1901年)の今日6月21日、立憲政友会所属の政治家・星亨が暗殺されています。 殺害犯は、剣客・伊庭想太郎。箱館戦争で土方歳三らと共に戦って戦死した伊庭八郎の弟に当たる人物です。 伊庭は。 「四谷区前学務委員」の名刺…

そんな自分に朗報。

5月9日に、さんざん大騒ぎをした末にネット経由で提出した「考古学特殊研究」のレポートが。 本日、大学院より評価と担当教官のコメントがつけられて返送されてきました。 …両方の設題ともAでした。 まずはめでたい。 もっとも。 修士論文で書こうと思っ…

…ホントなの!?

毎日毎日弊ブログを更新しているなかで。 「日本史的今日の出来事」を日々の表題として紹介させていただいています。 もう弊ブログも「間もなく開設2周年」を迎えんとしているところですので、なかなかネタを探すのに一苦労というのが実情です*1。 その際に…

そうして考えつつ読むと「我と来て遊べや」という文句はなかなかに意味深だ。

ところで。 ↓のエントリで引用させていただいたブログのオーナーさんも紹介なさっていた、小林一茶のネタですが。 自分も知ってました。 『日本風俗史新聞』(日本文芸社)という。 タイトルはいかがわしいけど、比較的日本史のこぼれ話がたくさん載っている…

…なんだかなあ。

…昨日のニュースですが。 「飛鳥美人、古墳とお別れ=損傷点検はカビ殺菌後−奈良・高松塚」(http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date2&k=2007051100075) 高松塚古墳(奈良県明日香村、7世紀末〜8世紀初頭)で、文化庁は11日午前、石室から取り外した「飛…

…なんかカワイイ「鬼」だなあ。

というわけで。 今年も、5月11日がやってきました。 今でも、初めて『燃えよ剣』を読んだときの感動は忘れられません。 それ以降、いろいろな小説やドラマ、演劇などで、様々な描かれ方をしているのを目のあたりにして、「…うーん、このあたりはシバリョー…

スゴい!

「馬曳く人、セットで出土…大阪の待兼山古墳、埴輪復元」(http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070320i418.htm) 大阪府豊中市の大阪大構内にある待兼山(まちかねやま)5号墳(5世紀末)で、最古級の馬を曳(ひ)く人物形と、馬形の埴輪(…

前々から気にはなっていたのです。

またまた「壮士の最期」シリーズは1回お休みとなりますが、あしからずご了承ください。 表題にもあるとおり。 明和8年(1771年)の今日3月4日。 江戸・小塚原の刑場で、杉田玄白・前野良沢らが死刑囚の死体の解剖を見学しています。 このとき、解剖に付…

またマニア心をくすぐるニュースが…

「今城塚古墳:大規模な石組み遺構見つかる 大阪・高槻」(http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070302k0000m040104000c.html)。 継体天皇(大王)を葬ったとみられる大阪府高槻市郡家新町の前方後円墳「今城塚(いましろづか)古墳」(6世紀前半…

武に秀でた人に少しだけ憧れる自分もいる。

すみません。「壮士の最期」シリーズは再び「1回お休み」ということで。 最近ハマっているものの1つに。 独身時代に購入した、DVD−BOXの完全版『独眼竜政宗』があります。 1987年放送のこのドラマ。 『新選組!』にめぐり合うまでは、間違いなく自分…

壮士の最期(6)

まだまだ、毛利家における切腹の様子のつづきをば。 赤穂四十七士のなかでも比較的メジャーな浪士に部類される1人に、武林唯七がいます。 なんと孟子の子孫だったり*1。 討ち入りの際に、奮戦を見せた挙句、間十次郎が一番槍をつけたのに続いて吉良上野介に…

彼のほうが偉かったはずなのに…

「壮士の最期」シリーズは1回お休みにて失礼します。急にネタ思いついたもので。 慶長5年(1600年)3月16日。 豊後・臼杵湾に漂着した、オランダ船・リーフデ号。 後に「三浦按針」を名乗るウィリアム=アダムスや、東京の「八重洲」の地名の由来となった…

壮士の最期(5)

前回(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20070113#p1)のつづきで、毛利家における切腹の様子を紹介させていただきます。 検視役の意向により、いわゆる「扇子腹」ではなく、作法どおり「小刀を用いた切腹」を毛利家でも執り行うことになり。 1番目の…

壮士の最期(4)

「前回のエントリから何日空いてしまったのだろうか?」と計算するのもコワかったのですが、してみたら…なんと中230日! 空きすぎです! 申し訳ありませんでした。ちなみに前回のエントリはこちら(http://d.hatena.ne.jp/CasparBartholin/20060527#p1)です…